人間関係での「他人に期待しない」という考えははたして良いのだろうか

「なんだよあいつ、むかつくなぁ」

「なんて常識のない奴なんだ」

「お前が勝手にしたことだろ!」

こう思うことは誰もが1度はあるはずだ。 仏みたいな性格をしている人格者ならそうじゃないかもしれない。けど世の中の大半の人は人間関係に悩むであろう。

 

人間関係。自分の場合は吃音症という事もあり人1倍苦労している自信がある。

 

吃音症とは...
吃音症とは、言葉が円滑に話せない疾病、または障害である。「発語時に言葉が連続して発せられる」、「瞬間あるいは一時的に無音状態が続く」などの症状を示す。
Wikipediaより。)
喋る時に出る頻度はその人の吃音症の重さによって変わる。

 

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そんな自分が編み出した人間関係の対策として「他人に期待しない」というものがある。

検索すると、結構出てくるので割とメジャーな考え方なのかもしれない。

 

前提としてこの考え方は個人的に何らかの原因で人と対立してしまうというというのを自分自身をコントロールする事で対立しなくするという認識である。

今回は実際に感じた事を交えつつ話していこうと思う。

 

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実際感じたこと

この方法を編み出して最初に実感した効果は怒らなくなった事。

言葉で表すことが難しいけど、「期待しない」という考え方で大抵の事は流すことができる。

 

これにより人間関係が拗れる事は無く今まで過ごせている。

 

人と対立しなければまず拗れる事は無い。

 

この2つがメインとなるメリットだと感じている。

 

しかしそれに伴った致命的なデメリットも2つ。

 

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デメリット

1つはストレスが溜まる という事。

何かが起こる→ストレスとなる→反論する(ストレスの発散)

というプロセスには変わりないので、溜まるもんは溜まっていく。

 

もう1つは自分の本音、感情をぶつける機会が減る という事。

単純に考えるとこの考え方は自分を抑えて相手を流す、というスタイルなので当然といえば当然である。

 

考察

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結局この方法は自分を犠牲にすることで成り立っているのである。

 

本当にウマの合わない人や、面倒な人には有効かもしれないが、普段から使うのはおすすめできない。

 

とはいっても自分自身この方法を普段から使っているが、知り合い以上友達以下 というような人達が大量にいる。 学校では話したりペアを組んだり冗談を言い合う仲だけど、一緒に遊んだりすることは一切ない。そんな関係だがプライベート第一な自分にとって快適すぎて満足している。

 

やはり友人というのは自分自身を出していって初めてウマの合う相手が見つかってそこから発展していくものだと思う。

 

時には対立するだろうけど、それも「友人」というものだと思う。

 

 

せめて必要な場面だけでも、主張できるようになっていきたいと感じた。