吃音症を持って生まれた平凡な高校生の生い立ち

自分は吃音症だ。

吃音症って?という方は声を出す時にちょっとした出る障害程度の認識で構いません。
(ざっくり例を上げるとこんにちは、がこここここんにちはとなったり.....!..こんにちは!と手前が詰まってしまう障害。)

吃音症が出たのは物心が付いた頃からだった。幼稚園の頃を微かに覚えているが、その時は特に何の感情も持ってなかった。この頃の子供の常識なんて自分の中の物が全てである。話せないのが普通、それがぼくの日常であった。周りの子もあんまり気にしてなかったように見える。


だが、小学生に上がるとそうはいかない。
1年生になると僕の話し方を真似してきたり笑ったりしてくる奴が現れた。自分の中の物が常識。今まで当たり前に話してきた人にとってはとても滑稽に見えたことだろう。 しかしこれは鮮明に覚えているのだけれど、それに対して怒ったり悲しんだりはしてなかった。理由は自分もわからない。

変化が出たのは2年生からだった。これも鮮明に覚えている。お遊戯会の役決めの時、僕が話したら笑ってくる女がいた。その時体の底から何かが湧き上がってくるのをはっきりと感じた。悔しい。腹が立つ。 そこから自分は「普通」じゃない事をはっきりと分かっていった。


それからの小学校生活は酷いものだった。
異性の女子から悪口を言われるイジメが続いた。
教師も児童をストレス発散の道具としかみてない奴らばっかりで当然イジメは無くならないし、障害の理解もない。
死ね ストーカー きもい
とにかく理不尽な事ばっか言われていた。
今でも忘れられないのが
「その声で話しかけないで」
という罵倒であった。
そういう事があったのか元々の性格かは知らないけれどほとんど団体で遊ぶスポーツはしなかったし根暗でけれどイジメに反撃する勇気もないいわゆる真面目な生徒という今のところの"陰キャ"であった。

中学校は地元の小学校3つの生徒が通う所だった。親が医者、英才教育を受けた子は別の中学校に行っていたがごくわずかであった。
ちなみに小中学校の地域は治安が良いとは世辞にも言えないレベルである。
僕は変わらず陰キャ生活だったが小学校では入らなかった部活に入った。

これが自分の考えを大きく変えることになる。

入った部活は将棋部だったのだがそこの人達がみんな良い人ばかりであった。今まで口を開けば笑われてた人生を歩んでいた自分にとってとても衝撃的であった。
「ああ、受け入れてくれる人もいるんだな。」

初めてそう思った。
将棋部としては強豪でもなんともなく、半分雑談してるくらい緩かったけど、中学校の思い出で唯一楽しかったものだった。

治安が悪い地区で不登校の生徒や不良気味の生徒も多い中、教師の人達はとても熱心で良い人だった。
障害について話すと理解をしてくれたし、声をかけてもらったりとかなり良く見てもらっていたと思う。
「真摯に向き合ってくれる他人の大人もいるんだな。」

小学校のクソみたいな教師と過ごしてきたのと大人の中だと親にしか理解されなかった自分の人生にとってこれも衝撃的だった。

何だかんだで中学校から離れた第一志望の高校に合格して、吃音症も先生に診てもらってから昔にくらべてマシになった。性格も大分明るくなり、友達もそこそこできて、まあまあな毎日を過ごしている。

これから吃音症と生活していく中での感じた思考、実際の話、昔話を交えながらこのブログを続けていきたいと思ってます。

よろしくお願いします。